カテゴリ:看病日記( 27 )


2008年 05月 17日

あれ、もう一週間か

ママンが亡くなったのは5月6日の火曜日。それから水木金と忌引き休暇をとった。

その影響として、木曜日におこなっている、お客さんとの定例会議を休むことになった。先週の木曜といえば葬儀の日。ママンが火葬された日である。

今週が終わった。会議にも出た。ああ、もう葬儀から一週間がたったのか。何もかもがあっという間だった。

そもそもママンは4月末までは元気だった。ひとりで補助器を押して、トイレにもいっていた。それが5月1日から体調を崩し、あれ? まだ大丈夫だよね? と思っている間に、返事もまともに出来なくなって。。。それが5月5日か。その次の日に息を引き取った。

はやかったね。はやすぎて違和感すらある。今、骨壺だけの存在になっているのが、何とも納得しがたい。

二週間前には生きていて、一週間前に火葬されて。。。ああ。二週間前までは生きていたんだよなー。二週間なんてまばたきほどの昔だ。入院中の姿や、その声が今もありありと思い出せる。

だからこそ違和感があるんだろう。元気ではなかったけど、まだまだ死ぬ感じはなかったから。生きていた姿が鮮明すぎる。

葬儀を終えてからの一週間は、たまに死んだ事実のほうが非現実的に思える。そのたびに「いやいや、死んだんだよ」と思い直す。

これが身内の死を受け入れるという時期なのかな。なんせ生まれてからずっと一緒に暮らしていたのでね。。。これがなかなか不思議な感じである。もうちょい時間がかかりそうだな。

ところで、ドラマを見ていると、旦那さんが亡くなった奥さんの仏壇に挨拶をするというシーンがある。そんなの、やらんだろーと思っていたんだが。。。

やっちゃうんだなーこれ。

ママンの骨壺を置いている祭壇に「ただいま」「いってきます」をいってしまう。いってしまうんだよ、これが。。。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-05-17 22:08 | 看病日記
2008年 05月 13日

お坊さん

ママンの葬儀でお経を読んだのは知り合いのお坊さんである。

お坊さんにはお坊さんの縄張りのようなものがあるらしく、関係のあるお坊さんがいるなら、そちらに葬儀を頼まないとあとでややこしいことになるらしい。

ママンははっきりいって「死んだら終わり派」なのだけど、母の母、すなわち祖母は信心深い人だった。その祖母が月命日はちゃんとやって欲しいと遺言していたため、近所に住むママンが一〇年以上も毎月毎月、お坊さんの応対をしていた。

葬儀屋さんに読経はつきあいのある人にお願いした方がいい、といわれるまで、わたしは誰でもいいやと考えていた。でも知り合いに依頼するとそれはそれで何となく良かったのかな、と思わないでもない。

わたしはママンの数珠をもって葬儀に臨んだ。すると、お坊さんはそれを一目見て「それお母さんの数珠やろ」と見抜いた。すごいね。数珠を覚えているか。こういうのを見ると、ああ、このひとはママンを知っているなーと感心する。

どうせお経を読んでもらうなら、生前のママンを知らない人よりも知っていた人のほうがいいと思いませんか?

葬儀が終わった。

「死んだら終わり派」のママンは「死んだら何もしなくていい」といっていた。勢いで葬儀はしてしまったのだけど、それ以外の法要はもういいのかな? と思っていたので「以降は考えていないんですよ」とお坊さんにいった。

お坊さんに「ダメだよ! 49日の法要はしないと!」と怒られた。

しじゅう。。。くにち?
たまに聞くな。なぜ49日は大切なのか? 教えてグーグル先生!

「死ぬと人の魂は世の中をさまよい続け、いずれ閻魔の裁きを受けて極楽か地獄を決定する。その日が死んでから49日目」なのだそうだ。納骨をするなら、一般的にはここが区切りになるらしい。

本当は7日おきに二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と法要をおこない、7X7の49日を迎えるそうだ。忙しい現代社会で毎週やっていると大変なので、49日以外は省くのが通例らしい。そのたびにお布施を払うのも大変だしな。。。

ふーん。長いものに巻かれよう。「49日はやりますかね」と連絡を入れた。すると、お坊さんから逆提案がきた。

「君さえよければ、二七日から六七日までやらせてくれないか。お布施はいらない。49日も含めていらない。君のお母さんには若いころから世話になった。わたし個人として弔ってあげたいんだ」

なかなか熱い提案である。

ロハでやらせてくれとまでいわれて断るのも失礼なのでOKした。わたしはわたしで日曜日は家にいないといけないので大変なんだけど。。。タダでいいから弔わせてくれ! とまでいわれたらねー。さすがに全部タダだと悪いので、49日くらいはお布施をおさめようとは思うが。

ただ、お坊さんが「ママンは信心深い人」と思っている部分が気になる。ママンは信心深い人なんだけど、子供に負担を掛けさせないために断腸の想いで、法事は不要といった、と思っているようなんだが。。。

うーむ。

ママンは日ごろから「死んだら終わり」といっている完膚なきまでのリアリストである。祖母の月命日も祖母の遺言であり、かつ周囲に親戚がいないからやっていただけなんだが。。。

お坊さんから「君のお母さんは信心深い人だったよ」といわれても「そうですかねー、そうかもしれませんねー、エヘヘ」としか答えられなかった。お坊さんがそう思っているのに、水を差すのもねえ。。。行動だけみれば、確かに信心深い。

ママンの想いがどのあたりにあったのか。今となっては知りようがない。

いずれにせよ、このお坊さんはママンをよく知っていて、お世話になったからママンを弔ってあげたいと想ってくれている。そういうのは、ありがたい限りである。そんなわけで、週おきの法要はちと大変ではあるが、わたしも頑張ってみようと思う。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-05-13 00:05 | 看病日記
2008年 05月 11日

母の日、ですね

5月11日。母の日。

ママンが亡くなる前日、主治医と話をした。「もう長くはないです。とりあえずは11日の母の日を目指しましょう」。母の日。自身も女性の主治医はいった。

「母の日に親孝行をしてあげなさいよ。カーネーション山ほど買ってさ」

母の日か。。。もうどれくらいしていないだろう。もう先がないママンの、最期の母の日。わたしは決めた。大きな。大きな。とても大きなカーネーションの花束を贈ろう。燃え立つような赤を、敢然と咲き誇る美しい花束を。

その決意もむなしく、ママンは次の日に逝ってしまった。

5月11日。母の日。
だから、わたしは花屋さんにいってお願いした。「仏壇にかざる花をください。カーネーションを付け加えて」

仏壇に供える花なのでたいしたものではない。カーネーションも2本くらいだ。あーあ。生きている間に、カーネーションを送りたかったねえ。

働いてから、母の日に何かをしてあげれば良かったね。好きな服を買ってあげたりね。誕生日には定期検診でもプレゼントすればよかった。

「必ず後悔するでしょう。あれもこれもしてあげればよかったと」とはよくいったものだ。

「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=6133

ママンが亡くなってから、ちょいちょいこのフラッシュを眺めている。今日も眺めた。胸にグッときますな。歌詞も文章も。

>誰もが気付かぬうちに何かを失っている
>フッと気付けばあなたはいない。想い出だけを残して

>もしももう一度あなたに会えるなら
>たった一言伝えたい。ありがとうありがとう

母の日には日ごろの感謝をあらわそう、か。。。あらわしておかないといけないね。表せなくなる日がいずれくるのだから。。。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-05-11 23:07 | 看病日記
2008年 05月 08日

葬儀を終えて

葬儀が終わった。

5月6日:死亡>仮通夜
5月7日:本通夜
5月8日:本葬>火葬

というスケジュール。ママンの遺体は骨となり、今は祭壇に安置されている。49日の法要まで自宅に置いておくそうだ。

葬儀についてはあとで詳細に書く。喪主になる経験なんてあんまりないだろ? ぜひわたしの動揺を見て、来るべき日に備えてもらいたい。そんな日がこないのが一番いいんだけどね。

今日の朝「重力ピエロ」という本を読み終わった。何ともいえない気分になった。重力ピエロには「がんに犯された主人公の父」が出ている。ラストは彼の葬儀で終わる。火葬される父の灰を二人の兄弟が仲良く見送るシーンはなかなかに胸を打つ。

今日、ガンで死んだママンは火葬されるんだよね。なんだよ、この一致は。

思えば、面白いことに、ママンのガンが発覚したときも、わたしは関連した本を読んでいた。友人から借りた「東京タワー」である。

東京タワーといえば、リリー・フランキーが書いた彼の母の自伝的小説で、後半は末期ガンの母とリリーの東京生活を中心に話が進む。

それを読みながら思ったねー。おいおい。ママンもガンなんだけど、なんだこの一致は。つーか、エンディング、母親死んでるじゃん。そこ一致されると困るんだけど。

一致しちゃったけどね。。。

スタートとエンドに読んでいた本が、リアルと奇妙に一致していたのが、何ともいえず興味深かったね。。。病から奇跡の生還を遂げた患者の本でも読んでおけばよかったな。

今さらながら東京タワーの言葉が胸に突き刺さる。

>どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、
>きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、
>してあげればよかったと。

これは思い続けたね。ママンの体が動かなくなってから。ずーっと。寿命がじりじりと減るのを眺めながら。この数日間でも思うことがある。あれをしてあげればよかった。あのサインをスルーしちゃいけなかった。。。

>母親というのは無欲なものです
>我が子がどんなに偉くなるよりも
>どんなにお金持ちになるよりも
>毎日元気でいてくれる事を
>心の底から願います

>どんなに高価な贈り物より
>我が子の優しいひとことで
>十分すぎるほど幸せになれる

>母親というものは
>実に本当に無欲なものです

>だから母親を泣かすのは
>この世で一番いけないことなのです

こっちの言葉は、今、見ただけで涙が出たね。
本当にそうだよなー。そうだったよなー。

失ってはじめて母親の優しさみたいなのがじいーっと胸に残るのよね。無償の愛っていうんですか? あの日だまりのような優しさを、もうわたしは感じられないんだなーと思うと悲しくなる。そして、今まで優しく見守ってくれたママンに感謝の気持ちで一杯になる。

いやもう、本当に。本当にね。本当に。

もうすぐ母の日。ぜひ「お世話になるのが当たり前になっている」みなさんの母親たちに何かをしてあげてください。

カーネーション一本でも良いと思いますし、独立しているなら電話の一本でもいいと思います。そんな小さなことでもきっと喜びますよ。ええ。

それが、母の日に何もできなくなった、わたしからのお願いです。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-05-08 19:20 | 看病日記
2008年 05月 06日

タビのオワリ

5月6日 14:48。天に召されました。

体を拭くのでと外に出て、帰ってくると、ママンの息はとても静かになっていた。浅く、弱く。その息は段々と弱っていく。のどの動く回数が減っていく。口の動きも緩慢だ。

ママン。怖いよ。ほら、もうちょっと、オーバーに口を動かしてよ。まぶたも動かしてよ。心電図とかつけてないからさ。わかんないんだよ。ほら、もっとオーバーにさ。動きが止まると怖いじゃない。

カツンと口が開き、目がぴくりとまばたきする。
段々とその回数は減っていく。。。

冗談? 冗談でしょ?
ママン? ママン?

もう何度呼びかけても返事はない。
瞳は開いたまま。口は開いたまま。

認めよう。すべての終わりを。
ありがとう。今までご苦労さまでした。

わたしはナースコールを押した。
すべてを受け入れるために。

GWの最終日に逝くなんて。。。
子供の11連休を延長してやろうなんて親心いらないですよ。
空気読みすぎだけど、そういう読み方は違うでしょ。

ママン、お疲れ様でした。
今まで迷惑だけをかけ続けました。
わたしは元気なので、天国で見守っていてください。

本当の本当に、ありがとうございました。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-05-06 15:20 | 看病日記
2008年 05月 05日

サヨナラのハジマリ

ママンの体調の低下が激しい。坂を転げ散るかのようだ。一週間前まではひとりで歩き、あれが食べたいこれが飲みたいといっていたのが嘘のようだ。

もはや喋ることすら億劫で、何かを喋ってもろれつが回っていない。ベッドから動くこともできない。2月ごろの意識不明から助かったときを思い出す。問題は方角だ。あのときは快方に向かっていたのに対し、今回は悪化に向かっている。

鎮痛剤の影響なのかな。。。痛みが激しくなっているそうなので、鎮痛剤を多くしているらしい。痛みをとる=意識を弱める、ではないかな。

今日は主治医と話があった。話は予想通りだ。「病状が悪化しています。そろそろ何があっても不思議ではありません」。ああ。わかる。わかるよ。わたしは医療関係者じゃないけどわかる。それほどにママンは弱っている。

2月のころも今回も、両方ともママンの体調は突然くずれた。病気とはそういうものなのだそうだ。閾値を越えるとガクンとくるらしい。直前まで元気だったから衝撃が大きい。

前回は何とか乗り越えたが、今回は無理そうだ。その点でわたしと主治医の意見は一致している。嫌な一致だ。想像通り、本来の病状が悪化しているための症状であるため、改善は期待できない。

主治医
「来週が母の日です。まずは、そこまで頑張ってもらいましょう」

来週の5月11日。そこを「目指せるかどうか」。それがママンの現状のようだ。6月5日の誕生日は難しい。一週間前の元気さから、夏くらいまではいくかな、と思っていたけど。

主治医
「服など。。。お亡くなりになったときに着せる服など決めておいてください。何かがあってからだと、忙しくてゆっくり考えられませんから」

どうやら。
別れを告げるときがきたのかもしれない。
わたしにできることは、最期まで顔を見せることだけか。

主治医
「オニミキさんはすごいと思いますよ。なかなか親の見舞いに毎日顔を見せる人はいないんです。入院させたらそのままというか。そんな人も多いんです。きっと喜んでいてくれてますよ」

見舞うさ。最期の最期まで。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-05-05 20:32 | 看病日記
2008年 05月 02日

終わらない憂鬱ウィーク

同僚から「人でなし」と称された11連休であったが、実はぜんぜんハッピーではない。特にここ数日は人生初の厄介ごとに巻き込まれ、胃の痛い日々を送った。有給で埋めた日数分、キレーに鬱だった。働いといたほうがいいじゃん。

何とか片付けたので、いずれ書くかもしれん。こういうときにいえる言葉は「いい勉強になった」くらいか。わたしの長期休暇って去年の夏からろくなことがない。

ようやく片付いたんだが。。。ドラマではひとつの事件が片付くと次の事件が起こるわけで。やめてほしいところだ。これは現実なのだから。

疲れて昼寝していたら、ケータイが鳴った。ママンが入院している病院からだ。「主治医からお話があります。お母様の具合に関して。後日、病院に来ていただけますか」

ちょうど先日のママンの調子が悪い日記を書いた次の日から、ママンの体調ががっくりと悪くなった。意識はあるのだけど「しんどい。。。」というだけで、会話自体を億劫がっている。今日なんて到着して3分で家に帰ったよ。

何かが悪化しているのだろうか。病態が悪化しているので、そのための呼び出しのようだ。電話によると「食事も摂れていないんです」らしい。

2月の頭に意識を失ったとき。あのとき死を覚悟した。またあの日々がくるのだろうか。あのときは、敗血症という副次的な病気だった。治療の効果とママンの体力が何とかそれを乗り越えた。

今回は? 今回はどうだろう。前回は副次的な病気だったが、今回は本来の病気が単純に悪化している気がする。であるなら、もう限界がそこに来ているのかもしれない。

転院したとき、主治医がいった。ママンの誕生日は6月5日。「まずはそこを目標に頑張りましょう」。それすらたどり着けないのだろうか。昨日一昨日まではわりと元気だったのに。もうそんな日々は戻ってこないのだろうか。

最近ママン調子悪いなーなんて書いてから調子が悪くなかった。。。あんな記事書かなければ良かったな。じゃあ、こう書けばいいのかい? ママンの病状奇跡の回復!
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-05-02 20:39 | 看病日記
2008年 04月 30日

足音が聞こえる

今日、病院でママンの衣類をコインランドリーで洗っていると、婦長さんが謝罪に現れた。内容は一昨日、昨日と連日、ママンを負傷させた件である。過ぎたことは仕方がないので、今後は気をつけてくださいな。

他にも会話したなかで、印象に残った会話が。

婦長さん
「今、栄養が全然とれていない状態なんですね。食べても点滴しても身につかないというか。筋肉も維持できないんです。食べる量よりも食べられるほうが多いんです」

食べる量よりも食べられるほうが多い。

針の穴を通すようなピンポイントな表現だ。

ママンの病気はガンである。ガンという病気は、宿主から栄養をかっさらって成長する。だからこそ「食べる量よりも食べられるほうが多い」のだ。

栄養を摂らなければ死ぬ。でも栄養を摂るとがん細胞が活性化する。生きるために食べるのか死ぬために食べるのか。

ママンは痩せた。痩せに痩せた。もともと細い人だったが、今では骨と皮だけだ。骨と皮だけなんて冗談のような表現だが本当にあるんだな。頭蓋骨の形状に輪郭がくぼみ、血管が浮き出ている。

今日、そんなママンの横顔をじっくり眺めた。

ママンはきれい好きである。去年、荷物が増えるからやめろよといっているのに、化粧品やら何やらを病院に持参し、身奇麗にしていた。

そんなママンだが、今では髪も顔も手入れをしていない。髪はバサバサで皮膚はカサカサに荒れ、眉毛も伸びてうっすらとヒゲも生えている。

「手入れはしないの?」ときいたら、疲れた顔で首を振った。

「しんどくてできない」

ママンは最近しんどいしんどいとよくいう。あれだけ気を使っていたのに、もう自分の体の手入れもできないくらいに弱ったのか。ああ、ゆっくりと何かが終わりに近づいている。それが現実なのか。

死。そんなものに姿形はないだろうけど、あるとするなら足音が聞こえるようで嫌な気分だ。願わくば、その到来が遠い日であることを。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-04-30 23:26 | 看病日記
2008年 04月 29日

あしがなえたむねをうった

電話が鳴った。とった。「オニミキさんですか。病院のものですが」と緊迫感あふれる声が聞こえてきた。

ママンは補助器を使ってひとりでトイレにいっている。そのときに足の力が抜けて「カクン」となり、転んで顔を打ったらしい。

別に顔をうっただけで、本人は元気なんだそうだ。おおげさだから連絡してほしくなかったそうだが、病院側の決まりで連絡したらしい。あとで本人のケータイにかけると、思いの外、元気そうだった。

それが昨日。
で。今日。

電話が鳴った。とった。「オニミキさんですか。病院のものですが」と緊迫感あふれる声が聞こえてきた。

車いすに座ってもらおうとしたら、体勢を崩してしまい、机で胸を打ったとのこと。触診では肋骨にひびが入ったか、折れたかしているっぽい。レントゲン技師が休みのため、明日にならないと詳細がわからんとのこと。

車いすか。そういえば、今日、病院に行ったら補助器が撤去されていた。今は看護師さんにお願いしてトイレにつれていってもらっているらしい。こういうの病院は、はやいんだよね。

顔を打ったくらいなら、へー、ですむが、さすがに肋骨折れてそう、といわれると、こちらとしても焦った。本人にあとで連絡すると、胸の痛みも今はないといっていた。折れてなければいいんだが。

連日こんな不幸な話を聞かされると気が滅入るね。一度目はママンの自爆だから仕方がないが、二度目はなー。看護師さんがいるときっぽいし。そのためにチミたちは歩行器を撤去したのだろう、と。

今の病院は、前の病院に比べて居住環境は良くなった。点滴しか許さなかった前の病院に比べ、食事を許可してくれている。

ただ、看護体制に不安を覚えるのだな。夜間なんて、看護師ふたりの体制らしい。いやいや、それ人手不足だから、みたいな。

なかなかパーフェクトな病院ってのは難しいのかもしれないね。。。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-04-29 22:45 | 看病日記
2008年 04月 13日

ママンが転院した。

先日、ママンが転院した。

転院先の病院は先だって見学済みである。
場所は地元の駅の真ん前。場所は近くなった。

転院は非常にあっさりしている。

早朝、病院に向かって、支払いを済ませる。
病院が用意した搬送車でママンを運ぶ。
ストレッチャーに乗せたママンをベッドに運ぶ。

ママンはストレッチャーで運ばれるので、ずーっと寝ているだけである。運ぶのも病院側の人間がしてくれるので楽だった。

そういえば、ママンが外に出るのは、2ヶ月以上ぶりだ。
1月の終わりに倒れて、ずーっとベッド生活だったからね。

新しい病院はどうなのか。
なかなか良い感じである。

第一に広い。

前の病院が大部屋に6ベッドなのに対し、今回は4ベッド。
内装も白くて汚れが少なく、なかなか雰囲気が良い。

「古い病院なんですけど、このフロアは2年前に改装して、そのときに床を4つにしたんですよ。」

古い病院である。わたしが子供のころ、入院していた場所だからな。少なくとも、それと同じだけの時間が流れているわけだ。

子供のころに見上げた病院は、とてつもなく大きくて。病院という存在感をずっしりと感じさせてくれた。大人になった今から見ると、それほどでもない。

背丈が伸びるって、そういうことなのよね。
それはママンも老いるという意味だ。

今、ママンは病状の関係で絶食している。プリンやゼリー、アイスといったお腹に負担のかからないものだけを食べている。栄養のほとんどは点滴から補充している。

前の病院の指示だったので、そうしていたのだが、ママンとしては何かを食べたいそうだ。そりゃそうだな。

新しい病院になると、そのあたりの方針もリセットするようで、お医者さんたちは「少しずつ食べられるように考えたい」といっていた。点滴だけというのも体に負担なのだそうだ。

前の病院は自称「治療するための病院」なので、医師の態度は「患者というより病状に向かい合う」感じであった。今回の医者は治る見込みのない患者を引き受けるだけあって、なるべく患者の満足を考えよう、という姿勢が見える。

おそらく、ママンは最期をこの病院で迎えるのだろう。できれば、残された時間を満足のいく形で過ごしてもらいたいものだ。

看護師さんはいった。「子供さんも毎日きてあげてください。家に近くなりましたし」

いわれなくても、だ。
わたしにはそれくらいしかできない。ならば、それをするしかあるまい。
[PR]

by netnetnet_78 | 2008-04-13 22:01 | 看病日記