2008年 03月 04日

ママンの一時帰宅と決断

先日の日曜日、ママンは家に戻った。確定申告をするためである。

一ヶ月ほどの寝たきり生活で落ちた体力を取り戻すため、歩行のリハビリをしている。どこまで回復しているか。それを試す場でもある。

おおざっぱな様子では以下の通りである。
・普通のタクシーに乗り、座ってままでいられる
・支えがないと歩けない。無理に歩くとよろける
・しゃがみ込むとひとりで立てない
・イスに座るのが一番ラク。

うーむ。。。なるほど。筋力がかなり劣化している。それはあんなに寝込んでいたら、こうなるわな。

妖怪長屋同然のわが家にバリアフリーの概念はない。玄関にはひざ近くまである高い上がり框がそびえ立つ。萎えた足には厳しいだろう。部屋は和室で普通に座るには腰を落とすしかない。座れば自力では起き上がれない。

ママンは低い食卓に座った。「イスが欲しいけど、ないからここに座る」。ふーむ。どうやらイスを買う必要があるらしい。

布団では起きがれないのが確定したため、ベッドも必要である。ベッドだと起き上がれるのか? と思われるだろう。起き上がれるのだ。ベッドには補助の棒が取り付けられるので、それをつかめば可能だ。加えてベッドは高さがあるので、足を横におろすだけで、ベッドに座った状態になる。

最近はバリアフリーについて考えることが多い。体が不自由な人には西洋風のほうが便利なんだなー。洋風は腰が高い位置にある生活スタイルなので、足が不自由でも使いやすいのだろうな。

必要な書類をかき集め、ママンは病院に戻った。ベッドに横たわり一言「疲れた」とつぶやいた。看護師さんが現れて体温をはかると微熱が出ていた。本当に疲れているようだ。

ママンが病院から出るのは一ヶ月ぶり。ベッドから一歩も動かない生活を2~3週間も続けていたのだから、この疲労は無理もない。

体力の徹底的な衰えを自覚したママンはある決断をした。

以前、気の高ぶったママンが『点滴用のチューブを体に埋め込む手術』を強行にこばんだという話を書いた。あのあとも医師からは何度かすすめられていたのだが、ようやくそれに同意した。

本人曰く「あのころはまだ錯乱状態であんまり記憶がないのよ。今はしてもいいと思うんだけど。。。」といっていたのが、ようやく実現する。

肘から心臓付近の太い血管まで管を通すという物騒な手術だが、内容自体はたいしたことないそうで、40分ほどで終わった。

「分娩室で手術します」といわれて驚いたな。分娩室!? 部屋が広いからだそうだ。ママンを「よかったな。また分娩室に入れる機会があったよ。生涯最後だろうから堪能してくるがいい」と軽口で送り出す。いくら何でも、この年齢で分娩室にはもういかんだろ。

分娩室の前で待っていてくださいといわれたのだが、何かここにはいてはいけない気がしたので、病室で待つことにした。なんかねー? 女の戦場って感じじゃない? 妊婦と病院関係者以外は立入不可! みたいな。

手術が終わって分娩室につれていかれる。何げに生涯二度目の分娩室である。一度目はなんだって? 産まれたときですYO!

ママンは元気そうで「全然イタくなかった。こんなんだったら、もっと早くやっておけばよかった」といっていた。まことに重畳。

これで明日から、栄養価値の高い点滴を打てるようになる。看護師に確認すると、普通のよりも3倍は強いそうだ。きっと色は赤いのだろう。

これでママンの体力が少しはマシになればいいんだが。
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by netnetnet_78 | 2008-03-04 22:07 | 看病日記


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