2008年 02月 03日

痛みは最悪の暴君

ベッドにやせ細った体を横たえるママン。その眉間が険しくなり、うう、ううとうめき声が漏れる。やがて声は大きくなり「いたいいたい」と主張する。弱々しい声を張り上げて哀しい声色をないまぜて。

わたしは手をとり、その手をさする。顔に手をあて、声をかける。大丈夫だよ大丈夫だよ。ただただ祈るだけ。ママンが子供のころのわたしにそうしてくれたように。やがてママンの声は小さくなる。眉間のしわはなくなり、安らかな顔に戻る。

ネットによると「さする」という行動には鎮静の効果が科学的にあるそうだ。さすられることによって触覚を通過する痛覚が減少し、それが信頼している人だとさらに脳内の物質の関係で痛みが減るらしい。

確かに看護師さんがさするよりも、わたしがさするほうがママンには効果があるように見える。わたしの手で安心してくれるなら、何百回でも何千回でも何万回でもさするよ。あなたがそれを喜んでくれるのなら。

それでも、そう。
そんな民間療法では越えられないものが確かにある。

土曜日。ママンの声はいつもより大きかった。「いぃたぁいい、いぃたぁいい」いつにもまして悲痛な声だった。それはうめきというよりも嘆き。

わたしはいつものように声を掛けながらさすった。ありったけの祈りと想いを込めて。それでもママンの声はおさまらない。満足に動かせないはずの体を左右に揺らしながら、荒い息と同時に痛みを吐き出す。

ああママン。わたしには何もできないよ。
看護師さんは鎮痛剤の投与の指示を仰ぐため、病室を飛び出て医師を探しに行く。

その日はたまたま痛みが治まったのだろうか。医師が到着する前に突然ママンが静かになり、そのまま寝息を立てて事なきを得た。その晩も夜通し眠っていたようで、夜番の看護師さんが「特に何もなかった」と報告してくれた。

ホッとしたのもつかの間、ママンが再び痛みを訴える。また声を掛けながらさすってみるが効果がない。もうママンの痛みはそのレベルではないのだろう。でも、わたしにはこれしかできないんだ。

看護師さんがいった。「うめくのにも体力が必要なんです」衰えた状態でこれだけうめく。嘆く。それはどれほどの痛みなんだ。「その体力を病状の回復だけに使えるように温存させてあげたいんですが」

落ち着かないママンを見かねて、看護師さんが鎮痛剤を持ってきた。おそらく前もって準備をしていたのだろう。フェンタニル。麻薬系の強力な鎮痛剤。Wikipediaによるとモルヒネの200倍の効果があるらしい。

薬が点滴のチューブを通り、ママンの体へと侵入していく。ママンの顔は安らかになり、うめき声が消える。痛みのとれたママンは瞳を閉じ、再び眠りについた。

激痛に苦しむママンを見ながら思った。今ママンは生きることに価値を見いだせるのだろうか。死んだほうがマシなんじゃないだろうか。鎮痛剤と鎮静剤と抗生物質を打ち込まれ、生きながらえるママンの姿は痛々しい。泣きたくなるほどに。

苦しむママン。無力なわたし。一日ごとに増える投薬。延々と続くスパイラル。それを終わらせるのが「死」以外の何かであってほしい。
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by netnetnet_78 | 2008-02-03 22:20 | 看病日記 | Comments(2)
Commented at 2008-02-04 14:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by オニミキ at 2008-02-05 22:05 x
>匿名希望さん
体感的に短いことを祈りたいですねー。もう痛い痛い痛いだけでしょうから。。。
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